東京高等裁判所 昭和44年(ネ)1247号 判決 1971年2月26日
控訴人 渋谷信用金庫
理由
被控訴人の所有にかかる本件土地建物につき、被控訴人主張の各登記の存する事実は当事者間に争いがない。
《証拠》によれば、つぎの事実を認めることができ、《証拠》中この認定に反する部分は前記各証拠に照し合わせて採用できない。
黒木金春は内装工事を業とし、同人の妻黒木繁子は理髪店を経営していたが、右両名は金春の弟黒木永吉から麻雀屋の開店資金として金二〇〇万円の調達方の相談を受け、両名が自から借主となつてかねてから取引のあつた控訴人からこれを借入れることを承諾したので、永吉は、昭和四一年始頃、旧知の仲である行方龍輔に右事情を話して担保物件の提供方を依頼した。
龍輔は兄である被控訴人に右事情を話して相談したところ、被控訴人は、かねて、新店舗開設の計画を有つていたが、直ぐに実行する予定でなかつたので、龍輔の申出を容れ、黒木金春夫婦のため二〇〇万円の債務を限度とし一年間に限り本件土地建物を担保に提供することを承諾し、実印と右物件の権利証を交付して、必要な手続一切を同人に委任し、同人は、被控訴人の印鑑証明書の下付をうけ、これを右実印および権利証とともに繁子に交付し、被控訴人から申出のあつた担保提供の条件を言い聞かせたうえ、右担保権設定のための手続を委任した。
しかるに、黒木繁子は右印鑑、印鑑証明書、権利証を使用して、被控訴人名義をもつて自分ら夫婦と控訴人との間の昭和三九年七月二七日付手形貸付証書貸付手形割引当座貸越その他継続的取引契約に基づく現在および将来の一切の債務を担保するため、本件土地建物に元本極度額を金二〇〇万円とする根抵当権を設定する旨の昭和四一年三月八日付根抵当権設定契約証書(乙第一号証の一)、同日付取引約定書(乙第二号証)、同人らが控訴人との取引により現在および将来負担する一切の債務を被控訴人において連帯保証する旨の同日付包括保証約定書(同第三号証)を作成して控訴人から金二五〇万円を借り受け(内金五〇万円は控訴人に対する定期預金とした。)、司法書士木川豊子に依頼し登記申請書(同第一号証の二、三など)を作成、右根抵当権設定登記、停止条件付所有権移転仮登記、停止条件付賃借権設定仮登記の手続を経由させた。
控訴人金庫の千駄ケ谷支店貸付係として右取引の衝に当つた田中龍男は、繁子から右各契約書の差入を受けた後、同年三月始め頃、本件土地建物の担保価値調査のため現地に赴き、被控訴人に面会し、前記各契約書を被控訴人に示した際、被控訴人は、来意を知つて田中を現地へ案内しただけでなく、なんらの異議を述べることなく、右担保物供与の条件についてすら全く触れるところがなかつたので、田中は右各契約については被控訴人において全部これを承諾しているものと信じて疑わなかつた。
右認定の事実によれば、黒木繁子は、被控訴人の代理人行方龍輔の委任を受け、被控訴人の代理人として、昭和四一年三月八日控訴人との間で根抵当権設定契約、停止条件付代物弁済契約、停止条件付賃借権設定契約を締結したものであるから、被控訴人の代理人行方龍輔から復代理人に選任せられて契約の締結に当つたものというべきであつて、被控訴人から直接代理権を与えられた事実は認めがたい。
そこで、黒木繁子の権限の点につき判断すると、《証拠》によれば、被控訴人は龍輔を全幅的に信用し、同人に自己の実印と権利証を渡して契約その他の手続一切を委任したのであるから、右契約につき必ずしも龍輔自らこれにあたるべきものとして代理権を与えたのではなく、同人が黒木金春夫婦や黒木永吉を復代理人に選任してこれに当らせることについても、予め承諾を与えていたものと解するのが相当であるから、黒木繁子は、被控訴人の復代理人として、龍輔の代理権の範囲、すなわち黒木金春夫婦が控訴人から金二〇〇万円以下の金員を返済期を一年以内として借りる消費貸借上の債務について、同人らが一年以内にこれを完済することを条件として本件土地建物に抵当権を設定登記する権限を有したものと解すべきであり、これを超えて前記のような根抵当権の設定、停止条件付代物弁済契約、停止条件付賃借権設定についてまでも権限を有したものと解することはできない。
よつて、表見代理の成否について検討する。
前記認定の事実によれば、控訴人は黒木繁子とは従前から取引のあつたこと、契約前の昭和四一年三月始め頃控訴人の本件取引の担当者が本件土地建物の担保価値等を調査した際被控訴人は調査の目的を知つて同人を現地に案内しかつ何らの不安らしい態度も示さなかつたこと、かつ、既に作成ずみの前記契約書を示されながら、なんらの異議を述べることなく、担保物供与の条件についてすら、全く触れるところがなかつたこと、黒木繁子は、契約に際し、被控訴人の代理人として同人の実印、印鑑証明書、本件土地建物の権利証を持参したことが認められるので、控訴人は黒木繁子が前記根抵当権設定契約、停止条件付代物弁済契約、停止条件付賃借権設定契約につき被控訴人を代理する権限ありと信じかつ信ずるにつき正当な理由があつたものということができる。
被控訴人は、本件土地建物を担保として借受けた前示金員は弁済によつてすでに消滅したと主張するが、右担保権が根抵当権およびこれと関連する権利である以上、右債権の消滅によつて直ちに担保権の消滅を来すものとは認められないから、本件各登記をもつて実体上の原因を欠く無効のものと認めることができないのはいうまでもない。
よつて、黒木繁子が被控訴人を代理して控訴人との間で締結した右各契約につき、被控訴人はその責に任じなければならないから、被控訴人の本訴請求は理由がなく、これを認容した原判決は不当であるのでこれを取消